お知らせ
INFORMATION

 

お知らせ

法話

境目に立つ

 
 お釈迦様の父親、浄飯王(じょうぼんおう)は現在のネパールにあるカピラヴァスツを中心とした釈迦族の国家の王であり、母親の摩耶夫人(まやぶにん)も近隣の王族の出身とされています。王子時代にはシッダールタと呼ばれ、十六歳で妃を迎えました。城門から出て三回、冒険に出ましたが、みずからの人生と社会構造における苦の有様に悩み、二十九歳でひそかに王城を抜け出し民衆の間を放浪しました。厳しいカースト制度の現実を学び、五人の仲間と禁欲の苦行に入りましたが、悟りを得ることはできませんでした。六年間の苦行を捨て、ブッダガヤの菩提樹の下で沈思瞑想に入り三十五歳で大悟されました。
 お釈迦様の歩みはその第一歩で現世の栄誉、財産、身分などからの離脱を遂げ、世俗社会の中心を離れて周辺の山林に籠もる境界での修行に入られた後に新たな身分を得られたことになります。それは人種、階級、性別、年齢などによる差別を捨てて、すべての人々に対して謙虚で柔和で質直(しきじき)な心遣いを果たすことで得られる身分です。お釈迦様が自らの生きる社会の崖っぷちにあって果たされた修行の成果は計り知れません。
 彼岸会のころには季節が戻ることもありますがやがて花も緑もしかるべきリズムで訪れてきます。後鳥羽院が正治二年(一二〇〇)に詠んだ歌に
 此の比(ころ)は花も紅葉も枝になし
    しばしな消えそ松のしら雪
があります。丸谷才一氏の名著『後鳥羽院』の教えによりながら紹介します。この歌は『後撰和歌集』の読み人知らず、
 降る雪はきえでもしばしとまらなむ
    花も紅葉も枝になきころ
の本歌取りです。有名な古歌の一句か二句を取り入れて新しい歌を詠み、もとの歌を連想させながら自分の歌のイメージ、主題の膨らみを持たせる作り方で、現代でいうオマージュに当たります。しかし、この本歌も意識したでしょうが、おなじく藤原定家が本歌取りした
 み渡せば花ももみぢもなかりけり
    浦の苫屋の秋の夕ぐれ
がもっと後鳥羽院の心を刺激した歌でした。本歌は冬の歌でしたが定家はこれを秋の歌に変えました。後鳥羽院は再び冬の歌に戻しましたが、歌の趣がはっきり異なります。冬の初めには紅葉があり、春になれば花がありますがどちらでもない境界の季節だから松に残る雪だけしかない点が際立っています。定家では「秋の夕ぐれ」によって今はない花も紅葉も灰色の底に深く沈んでいるのに、後鳥羽院の歌では「松のしら雪」に引き立てられ、実在しない花も紅葉もいよいよ鮮やかに、眼前の松の葉の緑とおなじに迫ってきます。
 見えない大切なものは境界、つまり崖っぷちに立つとよくわかります。

教化部執事 壬生真康

  • 年中行事のご案内
  • 各会講のおすすめ
  • 百萬巻写経のおすすめ
  • 刊行物のご案内
  • ライトアップのお知らせ