貫首 清水谷 孝尚
(しみずたに こうしょう)
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「お彼岸」─功徳を回向しよう─
夏が過ぎ、やっと秋となり、国民的な行事「お彼岸」を迎えることとなりました。この頃が季節の変り目ですので「彼岸ふりわけ」などと申しますが、八月には猛暑「熱中症」に悩まされましたので、「九月」の声を聞き"暑さ寒さも彼岸まで"有難い日常となります。そして「五官」の喜びだけでなく、「智目行足」、即ち理論と実践、「信と行」が備わった生活を誓うこととなります。
『仏教語源散策』という書物に田上太秀師は「彼岸といえば、一般には春分・秋分の日を中日として、その前後七日間を指し、寺院に参詣し、家族連れで墓参りをする期間………この期間は忘れていた先祖供養を思い出させてくれる時でもある。……彼岸とは向う岸ということで、此岸に対する。彼岸は浄土教的にいえば極楽浄土で、此岸は娑婆国土、すなわち人間界を指す。此岸から彼岸に往生したいという願いからお彼岸の習俗は生まれている」と判り易く説いておられます。文字通りの宗教生活が求められる大切な行事なのであります。
吾々は誰でも「死」を迎えます。そして「来世」に往生、そこで永遠に過ごすこととなるのです。「やがて吾も逝くなり」と申しますが、卒寿を過ぎた私など心はすでに「あの世」のことに結びつく日々で、師僧をはじめ先亡の親族、ご縁のあった方々に「待っていて下さい」と読経のつど申し述べるこの頃です。皆様も菩提寺で回向の法要をして頂き、墓参をなされます。「叱られた恩を忘れず墓参り」という句がありますが、現在の自分を振り返ってみる場所こそ「墓前」ではないでしょうか。自分との深いつながりを持つ先霊に対し、自分が行う「善行」のすべてを回向したいと発願する絶好の時こそ「お彼岸」であります。
「地上に見えているところだけが樹ではない。見えるところをささえる根がある。」と教えます。この頃、主に若い人達のことですが「肉眼で見ることのできない世界」は存在しないという思考が強いようです。「風が吹く仏来給ふ気配あり」の句など、宗教的霊界への関心を示さない人たちには理解できない心境でしょう。
おん墓の石をなでおり幼くて
抱かれし父の腕おもひて(歌人吉井勇氏)
この「仏心」をお彼岸には養いたいものです。
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