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昭和39年(1964)再建の堂内に、四角い石塔の上に石の六地蔵尊をまつる。
享保年間(1716~35)摂津国有馬郡の山口某の妻が、庭先で「寛永通宝」がいっぱい入った壺を掘り当てたが、これに頼って働かずにいては家が滅びると思い、土中に埋め戻した。この心掛けによって一家は繁栄したので、その壺の上に地蔵尊をまつったという。銭塚地蔵尊は、そのご分身を勧請(かんじょう)したもので、商売繁昌を祈願する人が多い。石塔の下には「寛永通宝」が埋められているといわれる。これが「銭塚」の名の由来である。毎月「4の日」に法要が営まれ、特に正・5・9月の24日は「正五九」の大法要がある。
参拝者は塩とお線香、お灯明のローソクを分けてもらってお供えする。特に塩をあげることから「塩なめ地蔵」の名がある。塩でお地蔵さまの御身を清めるのだという。 |
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 建立 |
昭和39年(1964)9月再建(鉄筋コンクリート造り) |
| 本尊 |
石仏六地蔵尊(四角四面石塔上)
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| 歴史 |
関東大震災に際し、木造、瓦葺の堂宇は消失し、地蔵尊、石塔共に全体が磨滅したが、それ以前は石塔の銘文が判読できた。それには、「摂州有馬・山口銭塚正徳三年」とあり、浅草寺内にこの地蔵尊のある理由は不明であるが、塔の下には「寛永通宝」が埋めてあったと伝えられ、「銭塚」の名がある |
| ご縁日 |
毎月24日、正・5・9月の24日は午後3時より法要 |
| かんかん地蔵 |
銭塚地蔵堂前右側の石碑。以前は大日如来の姿であったと伝えるが、現在は、地震や火災に遭い、頭・手・足などその形を存しない。俗にこれを「かんかん地蔵」と称し、塩を奉納して参拝する習慣がある。その名は、参拝者が石を打って祈ると、「かんかん」と音が出ることに由来すると伝えられる。 |
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