 |
浅草寺の本坊。安永6年(1777)建築の客殿・玄関や明治4年(1871)築の大書院、浅草寺貫首(かんす)大僧正のお居間などがあり、「伝法院」はこれらの総称。もとは観音院、智楽院などと称したが、元禄(1688~1704)以後この名が付けられた。
客殿に阿弥陀三尊をまつり、その左右に徳川歴代将軍のうち歴代11名の位牌及び浅草寺各世代住職の位牌を安置する。回向道場として追善法要や、伝教大師忌の「山家会(さんげえ)」・天台大師忌の「天台会」などの論義法要が行われ、当山の修行道場でもある。
約3,700坪の庭園は、寛永年間(1624~44)小堀遠州(こぼりえんしゅう)により作庭されたと伝えられる「廻遊式庭園」である。
※現在は非公開 |
|


| 歴史 |
浅草寺の本坊で、もとは観音院、智楽院などと称したが、元禄年間(1688~1704)以後この名称が付けられた。 |
| 余録 |
客殿、玄関、大小の書院と浅草寺貫首大僧正のお居間などがある。また、回向道場として追善法要、山家会(さんげえ)・天台会などの論義が行われ、当山の修行道場ともなっている。 |
| 客殿 |
安永6年(1777)の建物
額「伝法院」は公遵法親王筆の模写。安永7年(1778)。 |
| 本尊 |
阿弥陀如来 |
| 庭園 |
伝小堀遠州作 寛永年間(1624~44) 廻遊式庭園
※元禄年間に輪王寺宮家の直轄となり明治まで秘園とされた 。
※小堀遠州(1579~1647) 本名は政一(まさかず)といい、作庭家として優れていた近江(現在の滋賀県)の大名。
|
| 総面積 |
25,568.4m2(7748坪) |
| 庭園面積 |
12,216.6m2(3702坪) |
| 天祐庵 |

天明年間(1781~89)の作、名古屋の茶人である牧野作兵衛が、 京都表千家の「不審庵」を模して作る。
昭和33年(1958)10月、浅草寺婦人会寄進(都重宝)
平成3年(1991)4月、改修復原工事完成 |
| 石棺 |

長さ2.5m・幅1.2m・高さ75cm
古墳時代のもので、明治2年(1869)、本堂後方の熊谷稲荷にあった塚より出土したもの。凝灰岩製。浅草寺のご本尊さまご示現以前において、浅草の地に有力な豪族が住んでいたことを示している。 |
|
 |
|